RPGのシナリオや、魔王やら聖女やらが存在するRPG風世界を描く場合。
魔王や悪役に「人間は○○だから悪だ」「人間は滅びるべき生物である」とか言わせるのは王道的ですが、主人公側にそういった台詞を言わせたり、そういった主張をテーマとする作品も多いです。
しかし主人公側がそういった思想を持つのは、一時的ならともかく、恒常的なら要注意です。
書き手に本物の実力が無いと、自己満足でしかないクソ作品に仕上がるでしょう。
それは何故か。
①読み手が人間だから
②薄っぺらいから
この2つが理由です。
①読み手が人間だから
当たり前のことですが、人間の書いた物語の読み手は人間です。
人間以外に読ませることを目的にした物語、なんてものを書く方は、よほど特殊な立場におられることと推測されます。
で、なぜ人間に読ませる物語なのに人間否定の物語だとクソなのか。
簡単な話です。
「お前の存在は悪だ」「お前は死んだ方が良い」なんて常日頃から言ってくる方、友人にしたいですか?
人間、と広くターゲットを取ったつもりでも、読み手は自分に言われているように感じてしまうんです。
一度や二度ならともかく、繰り返し自分に「お前は悪だ」「死ね」というメッセージが発信される物語は、最初はさほど気にならなくても、読み進めるほどに嫌な気持ちが蓄積されていきます。
そして、嫌な気持ちが、読み進めるモチベーションを凌駕したとき、読者は物語を読むことをやめてしまいます。
書いている方としては、(書き手の思う)正論で「自分以外の人間」を攻撃しているのでとても気持ちが良いのですが、書き手にとっての「自分以外の人間」には、読み手が含まれますから。
一方、人間を肯定する結論を導く物語ならどうでしょうか。
読み手だって、何かしら周りや自分に対する不満を抱えているもの。それを「それで良い」と認めること。
「お前はそれで良い」と言ってくれる友人。それは得難き宝物になるでしょう。
②薄っぺらいから
物事を否定するのは簡単です。
物事の嫌な部分だけを挙げ連ねれば良いのですから。
物事を肯定するだけなら簡単です。
物事の嫌な部分に目を瞑って、良いところを挙げ連ねれば良いのですから。
どちらも、薄っぺらいですね。
そんな反論一つで瓦解するような理論が、他人の心に響くわけがないでしょう。
悪側が「○○なので人間は滅ぶべきだ」とし、主人公側が「人を滅ぼすことは認めない」とする場合、そこには議論が生まれます。
悪側の主張を主人公側が受け止め、審議し、棄却する過程こそが、物語に説得力と深みを生む要因です。
ここで主人公が一方的に悪側の主張を論破する展開も、悪側の主張に主人公が完全に屈する展開も、そこまでの物語の積み重ねから導き出される結論でないなら、興ざめも良いところです。
じゃあ、どう描けば良いの?
基本的には「人間否定の物語なんか書かないこと」が一番です。
面白い作品にするには圧倒的に難しく、また面白い作品に仕上げられたとしても、殆どの読み手にはウケません。
物語の過程に人間否定が含まれる分には構いませんが、一方的にならないこと。
否定論に屈せず、かといって闇雲な否定や論破に走らず、丁寧な議論で結論を導くこと。
人間否定を主軸に据える場合、人間賛歌を結論とすること。
そんな物語は描けない?
なら、このテーマを扱うべきではありません。もっと軽い話や、身近な話題をテーマにしましょう。
軽い気持ちで「人間は悪の存在だ!」なんて言っちゃう気持ちは分からないでもないですが、人間の存在是非なんて、本来は哲学者が取り扱うような、とてもレベルの高い話題ですので。