初めに結論を書きますと、
全ての物語に「理屈」は必要。
作者が天才的・感覚的でないなら「理論」が必要。
こんな感じじゃないかと思います。
絵本にだって「理屈」はある。
この場合の「理屈」とは、「定義」や「理由」に近いものになると思います。
もちろん、この「理屈」は、リアルの科学法則や法規則などに縛られたものである必要はありません。
むしろ、現実にない要素を描くときにこそ、「理屈」を作る必要があるのではないかと思います。
ファンタジーな創作であるなら、魔力がどうとか地脈がどうとか、そういったファンタジーな理屈が欲しいのです。
「これは何か」「なぜこうなるのか」が欠如した物語は、リアリティや説得力を失うだけでなくて、
設定を活かせない・後付け設定だらけになる、読者がダレること必須の作品になってしまいます。
例えば、
「現実から異世界へトリップした人々の群像劇。現実世界からの来訪者は身体に紋章が浮かび上がり、この種類によって特殊能力を得る。この紋章は現実世界と異世界を繋ぐ鍵であり、これを失うと現実世界に戻れなくなる。」
という設定の物語があったとして、物語の鍵となるアイテムはその「紋章」でしょう。
しかし、これだけでは「紋章」の設定は、かなりふわっとしています。
・紋章を失う条件とは?
・紋章を失うことがあるのなら、得ることはできるのか?
少なくとも、ここを定義づけておかなければ、物語は成り立ちません。
例えば一度、紋章を失った者が、他者の紋章を奪いに来るような物語はありうるか?
それとも、いくつもの特殊能力を得たいがために、他者の紋章を狙う者が現れる可能性は?
もしもこれを「紋章はパスポートのようなもので、本人でなければ使えない」とするなら、
紋章を失う条件とは、その人が「元の人間でなくなること」と言うことができます。
ならば、元の人間でなくなるとはどういうことか?
更に、紋章そのものの正体について言及するなら、異世界に招かれる人の条件まで定められます。
書き始める前に、決めなければならないことが山ほどあるのが見えてくるわけです。
逆に言えば、この辺りの設定を一切練ることなく物語を書き始めれば、
最初と最後の設定が大きく矛盾しているとか、
キーアイテムっぽい紋章について全く触れずに物語が終わってしまうとか、
明らかに失敗作になりそうな気配しかしなくなります。
最もシンプルな良い例は、絵本かと思います。
有名ドコロで「私のワンピース」。
これは主人公の女の子が、不思議なワンピースを着て色々な風景の中を歩く話ですが、
「このワンピースは、映した風景を自分の模様にするワンピースである」
という「これは何か」決められており、物語は一貫してこのワンピースを取扱います。
この光学迷彩ワンピースを漫画や小説で描くなら「なぜこうなるのか」が欲しいところですが、
絵本という媒体なら、その「なぜ」は読者に想像させるものなので、これで充分なのでしょう。
物語を描く手が止まったとき、「理論」は必要になる
この場合の「理論」は、「技術」や「知識」という言葉が近いと思います。
例えば、
「良いシーンが思いついたので、これが描ける物語を作りたい」とか、
「こういうテーマでこういう世界観のシナリオを書こう」とか、
アイデア段階だったり、ネタを膨らましているときに、余計な「理論」はかえって邪魔になるかもしれません。
また、深く考えなくとも、面白いものが描ける人というのは、それはそれで良いのだと思います。
ピンク
と書いて脳が「青」と受け取るか「ピンク」と受け取るか、それによって絵の描き方が変わるように、
感覚だけで面白いものが描けるのであれば、その感覚は大事にするべきだと思います。
しかし、そうでない人間が、
描くことそのものを目的とせず、
描いた作品によって誰か(世間)にリアクションを求めるとき、
理論は必ず必要になる。
そう思います。
例えば、前回の記事でターゲティングについて書きましたが、こちらの例では
「男子高校生」に対し、「人間同士の繋がりや、社会や将来への希望を繋ぎとめ」たいわけなので、
そもそもメインターゲットに読まれずに終わってしまっては失敗作です。
また、この例だと媒体は漫画なので、テレビのように、漫然と見させることはできません。
では、男子高校生が手に取り易い作品とは何か?
絵柄で左右される部分は大きいでしょう。
高校生くらいの年頃は、幼稚な雰囲気を嫌う傾向にあります。
リアル過ぎるのも避けたいですが、子どもっぽさを感じる絵柄では厳しい。ある程度の等身の高さや、描き込みが求められます。
また、キャラデザについても同様です。
ヒーローを描くなら、日曜朝のヒーローより、深夜枠のヒーロー(タイバニやアメリカ映画)の方が受けが良いでしょう。
また、性的な関心の強い年頃なので、イケメンや美少女が皆無というのはなかなか辛い。
シナリオや人間関係についても、日曜朝そのものでは、メインターゲットには見向きされるハズがない。
ターゲットが感情移入できるキャラクターがいると良いというのは、よく言いますね。
そのためには、立場や年齢などでターゲットと同レベル以下のキャラを用意したいところです。
高校生くらいが好むといえば、ネット小説やライトノベルですが、
なぜ最近のネット小説やライトノベルのタイトルは長々としているのでしょうか。
これを考えると、情報社会においては創作作品の供給過多ゆえに、
作品が読者の需要を満たす作品であることをひと目で示す必要性が出ているという、
高校生そのものとは無関係な、現在の創作事情にも目を向けなければなりません。
誰かに評価を求める作品を描きたいなら、
自分の描きたいように描くだけでは足りないのです。
この、足りない部分こそが「理論」であると僕は思います。
「ワンピース」のように老若男女にウケる漫画が描きたいなら、
なぜ「ワンピース」がここまで人気になったのか(面白いのか)を考えなければなりません。
キャラクターが良いから?
いったい、ルフィの何が良いのでしょうか。
ビジュアル? 強さ? 性格?
その魅力について、分析しなければなりません。
ストーリーが良いから?
ファンタジーな世界のバトル漫画において、あまり「人が死なない」物語はレアですが、果たしてそれが理由なのでしょうか?
ワンピースは、ストーリーの黄金比が保たれていると、昔どこかの本で読んだことがあります。
そんなことも考えずに「ワンピースみたいな漫画が描きたい」と公言して恥ずかしくないのは、
小学生までだよなぁ、と僕は思うわけです。
まとめ
ただ描く、から一歩ステップアップするために必要なものこそ、
「理屈」や「理論」だと思うのです。
「理屈」は下絵です。より良い物語を作るためには必須です。
「理論」は絵画技術です。さらにレベルの高い、そして他者に評価される物語を作るために必要です。
自分が天才である、なんて胸を張って言えないのであれば、決して蔑ろにしてはならないと思います。