どもです。
C+学習の方が思った以上に難航しているので一時中断。
基礎からしっかり、外部機関を利用した学習をすることにしたので記事を一度取り下げました。
で、久々の更新ですが、友人と話していたときにひとつ見つけた話を。
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Re:ゼロから始める異世界生活というアニメがあるのですが、
今季の大ヒット作です。
ジャンルは所謂「異世界トリップ系」。
この手の話って現実世界における深い知識も、ファンタジーに対する深い考察も必要ないので、
教養の無い初心者が手を出し易くて、
そしてクソつまらない話を描きがちなジャンルです。
が、この作品。
そういった海千山千の「クソつまらない話」が溢れかえっていることを前提として、
そういった「クソつまらない話」を皮肉るかのように真逆を突き進むので面白い。
主人公が異世界にトリップしたら、何の苦労もなくチート級の力を手に入れる?
→いいえ、主人公の初期ステータスは現実にいた頃と変わりません。
主人公は何故か人心掌握のプロで知識と知略に富んだ名軍師?
→いいえ、主人公のコミュ力は低く、身勝手で精神的に幼く、天才的なひらめきもありません。
で、そんな主人公が何度も失敗をやり直しながら、
それでも少しずつ、本当に少しずつ前進していく話なので、
視聴者はそんな主人公に苛立ちを覚えることも多いのです。
「もう失敗が決定しているんだ、とっととやり直せ」
「ああ、また失言した」
「また失敗かよ」
僕はけっこう、彼の思考心理に共感できるので苛立つことはあまりないのですが、
ニコニコ動画のコメントなんかを見ているとそういうコメントが多いんですよね。
前提話が長々となってしまいましたが、今回の主題は
「視聴者/読者/プレイヤー」と
「その世界にいるキャラクター」の差。
そして、そこから見える「異常な(間違った)キャラクター」です。
読者は「神の視点」で物語を見る
読者とキャラクターの明確な違いは、
・読者は物語の全体像を見ることができる
・読者はキャラクターの痛みを感じることがない
この2点だと思います。
この2点を伴う視点を、今回は便宜上「神の視点」と呼びます。
まず、前者についてですが、
読者は第三者視点で、あるいは複数人の心情を渡り歩きながら、物語を読み進めます。
たとえ一人称小説であっても、たいていの場合はそこに「語り手の知りえない情報」が混在しています。
また、キャラクターが一瞬で通り過ぎてしまった事象も、
それが物語にとって重要なものであれば明文化されて(あるいは明確に描かれて)いるため、
重要な情報は必ず読者の頭に残ります。
故に、視聴者は物語に登場するいずれのキャラクターよりも多くの情報を保持しているといえます。
だからこそ核心/解決策に誰よりも早く気付くのは、(読者に完全に伏せられた情報を保持しているキャラクターがいない限り)読者なのです。
そして後者ですが、
読者はキャラクターに共感して心を痛める/感動することがありますが、
この感情のふり幅は、絶対にキャラクターより大きくなることがありません。
特に、物理的な痛みを伴う苦しみは、同じ痛みを経験したことがない限り正しい共感ができません。
例えばReゼロの場合、主人公の「やり直し」には「死ぬほどの苦痛」が伴うのですから、
外傷によって死の淵を彷徨ったことのない人間が、彼の苦しみを正しく理解することは不可能です。
どれだけ想像しても、想像の域を出られません。
読者とキャラクターには、明確な視点の差があり、思考/感情を共有することはできないのです。
それが理解できない読者は、(読者に比べて)理解の遅い/過剰に痛がるキャラクターに対して苛立ってしまうのです。
読者の考える「正解」の選択肢
先の2点を踏まえると、
読者が無意識に導き出す「正解」は、どうしても経過の痛みを排した「効率的なもの」になってしまいがちです。
「神の視点」で見れば、1を犠牲にすれば10が助かることが明確。
ならば10を助けることこそが「正解」。
「神の視点」で見れば、多大な痛みと苦しみが伴うものの、結果的にハッピーエンドになる。
ならばハッピーエンドのために苦しむことこそが「正解」。
ですが、キャラクターの視点に立って見れば、その「正解」が決して選び易いものでないことが分かります。
嫌なこと/苦しいことは少ない方が良い。できるだけ先送りにしたい。
他人の幸福が得られる選択肢より、自分が楽しい/楽できる選択肢を選びたい。
そう思うのは、ごく普通であり、当たり前のことです。
学生時代、苛めに遭っていた友人を見捨てたことのある人、けっこういるのではないでしょうか。
自分が体を張れば、助かったかもしれないのに。
良い成績を取ることが、良い進学や就職に繋がると知っていも、
目先の楽しみや面倒くささから勉強をサボった人の方がこの世には多いでしょう。
めいっぱい残業して、会社の業績を上げることより、
自身の趣味や休息を優先したくなるのは当たり前のことでしょう。
タバコ(あるいはお菓子)を購入する1000円を募金すれば、
見ず知らずの外国の子どもの命が救われると言われても、
自分の1000円ですから自分のために使いたいじゃないですか。
それを「正解でない」と他人に責められたとして、
「言われてみればその通り。自分は間違った道を歩んでしまっているので、正解を選び直そう」
と自分は言える(た)でしょうか。
「神の視点」から見える「正解」は、
「当事者の視点」から見れば「正解」ではない選択肢であることの方が多いくらいなのです。
読者の「正解」と、キャラクターのそれがマッチする場合
以上のズレを鑑みると、読者とキャラクターの「正解」マッチする状況は、
以下の3通りに分けられると思います。
①キャラクターにとって、「正解」の選択肢が選び易いものである場合
②キャラクターが失敗や苦悩を重ねた結果、決断に迫られて選んだものである場合
③キャラクターが「神の視点」を持ってしまっている場合
①キャラクターにとって、「正解」の選択肢が選び易いものである場合
これは簡単です。
キャラクターから見て、「正解」がきちんと見えていて、大きな困難/苦痛がなくそれを得られる場合。
あるいは、10と比べて犠牲にする1が、キャラクターにとって軽いものであった場合。
あるいは、常識的/倫理的な後押しがされている場合。
このとき、キャラクターが敢えて「正解」を取らないのであれば、
そちらの方が不自然になる場合すらあります。
「正解」を取らない理由づけこそ必要になることでしょう。
②キャラクターが失敗や苦悩を重ねた結果、決断に迫られて選んだものである場合
このとき、キャラクターはある程度、精神的ないし物理的に追い詰められた状態にあります。
分かり易い例としては、fateゼロの衛宮切継。大切な人を殺さなければ、その他大勢が犠牲になる。
その決断を下せるのは世界で自分しかいないという状況。その重圧。
あるいは、TOVのユーリ。対等な位置にいたハズの幼馴染が苦難の道を前へ進んで行くのに、自分は停滞し続けている悔しさ・屈辱・苦痛。目の前の巨悪が裁かれない怒り・義憤。
これらの負の感情が、「正解」を選ばない限り永遠に晴れることはない。
そんな状況下では、「正解」を選ばない方がもっと痛い。もっと辛い。
故にキャラクターは痛みを伴う「正解」へと足を踏み出すことになるでしょう。
③キャラクターが「神の視点」を持ってしまっている場合
これが問題です。
①でもなく②でもなく、それでも「正解」を選ぶキャラクターがいるとするなら、
そのキャラクターは「普通」ではありません。
普通は、正解かどうか不明な選択肢を、わざわざ多大なる犠牲を払って選ぶことはありません。
故に彼らは「苦痛を払うことになるが、確実に『正解』を得ることができる」と知っていることになります。
それは、そのキャラクターが知っているハズではない情報まで前提とした論理で、
物語のセオリーを多分に理解した推測を確信としてしまっています。
もはや未来予知に近い慧眼です。
これは俗にいう「チート」の保持者です。
この慧眼が主人公に備わっていれば、9割9分9厘が駄作といえる「チート主人公」モノになります。
主人公の味方にこの慧眼を持つ者がいるとするなら、それは「チート級の軍師」です。
パワーバランスの崩壊を招く可能性が高いので、取り扱いには細心の注意が必要です。
主人公の敵対勢力にこの慧眼を持つ者がいれば、
それは主人公らにとって「わけのわからないもの」であり「恐怖の対象」となります。
まとめ
以上から読み解けるように、
読者は「神の視点」で物語を俯瞰するからこそ「正解」を導き出せるが、
その「正解」は効率主義になりがちで「痛みや苦しみを伴う」という観点が抜けていることが多く、
キャラクターにとってのベストな選択肢と一致するとは限らない。
また、
キャラクターの選択が、読者の考える「(効率主義な)正解」と一致するとき、
①その「正解」を選ぶことはキャラクターにとって、あまり苦痛ではない。
②差し迫ったそれ以上の苦痛を回避するために、「正解」を選ばなければならない。
この2点のどちらでもない場合、そのキャラクターは異常/不自然となり得る。
これに対して明確な理由づけができないのであれば、そのキャラクターづくりは「間違っている」。
故に、書き手はキャラクターの選択を描くとき、
それに至る思考が「神の視点」から得られるものでないか注意しなければならない。
つまるところ、「Reゼロってすげーな、原作読んでみようかな…」ってワケです(´_ゝ`)
アニメ終わったら読んでみよう…。
原作↓