先日、漫画家志望の友人と喋る機会がありました。
彼の創作の原点は特撮で、彼の書きたいものもまた、特撮にノリの近いヒーローものでした。
その構想についてが主題だったのですが、彼は模倣から入るタイプで、ノウハウ本などには目もくれません。
僕とはやり方が真っ向から異なる彼ですから、その曖昧な根拠に基づく拘りに、ときには僕の方でも気付かされることが多いわけです。
本命ターゲットの模索の必要性
当初の彼の希望は、こんな感じでした。
- 中高生くらいが面白いと思えるシナリオにしたい。
- 中高生が楽しんでくれるシナリオなら、大人も楽しんでくれると思う。
- 幼児・小学生くらいには格好良いヒーローとして見てもらいたい。
- 昔のライダーやウルトラマンのように、幼児がクレヨンで描いてわかるようなデザインが良い。
- 社会は善なものでありたい(人の醜さを描くのは避けたい)。
- エロやグロを描くのは避けたい。
- 子どもを「怪人」の被害者にするのは避けたい。
シナリオの内容については割愛して、作品の方向性についての希望はこんな感じ。
これを一通り聞いた僕の感想としては…
「それで、この作品はどこ向けなの?」
- 中学生と高校生では嗜好も発達段階も大きく違う
- 更に、中高生が楽しめる=大人が楽しめるではない(恋愛系ラノベが最たる例か)
- 反社会的なものに魅力を感じる中高生に、単にそれを全く排した作品が受け入れられるのか
- 幼児・小学生に格好良いと思わせる演出は、中高生に魅力を感じさせる演出と反しないか
この辺のツッコミどころが発生したわけです。
というのも、ターゲットをハッキリさせるのはコピーライトや物づくりの基本。
かの空前の大ヒットを招いたヒーローものである「TIGER & BUNNY」だって、初めから万人向けの作品として作られたわけではありません。
数年前に、何かのインタビューで見たという曖昧な記憶ですが、かの作品は
「かつてヒーローを愛した、仕事に疲れたサラリーマン男性」をターゲットに作っていたハズです。
それが何故か、ターゲット以外の人々にも大人気になって今に至るというわけで、
誰に向けてもいない作品は、誰からも見向きがされないものです。
良作を作るにはターゲットを絞ることは必須なのです。
「ターゲットを絞る」有用性を簡単に教えてくれる記事はこちら↓
LIGinc.【人の心を動かす「伝わる文章」を書くために意識したい3つのこと】
というわけで、彼にターゲティングを意識させて考え直させた結果、
メインターゲットは「このごろ斜に構えてきた高校生男子」になりました。
また、社会を「善」として描く演出はあえてやめず、
「捻くれてきたからこそ、人間同士の繋がりや、社会や将来への希望を繋ぎとめる作品にしたい」
という願いをこめた作品にすることにしました。
ただ漠然と「社会は善」と描くより、よほどメインターゲットの心に伝わりそうな作品になりそうですね。
こうしてメインターゲットができたわけですが、これはあくまで「メイン」ターゲット。
彼が「格好良い」と思わせたい幼児・小学生や、
「面白い」と思わせたい中学生の存在を無視するというのもつまらない話です。
広いターゲットに対する【配慮】
昨今の世の中、ブログやFacebookが炎上するというのは少なくない話です。
有名人であるか、そうでないかは関係ありません。
ただ「誰かの気に障った」ことが原因です。
当然ですが、世の中全ての人に、ほんの少しも不快感を抱かせない作品なんてものは作れません。
推理小説が大好きな人がいれば、人が死ぬ描写をされるのが大嫌いな人もいる。
ホモに飢えた腐女子もいれば、同性愛者は精神疾患だと大声で叫ぶ人もいる。
有色人種と白色人種を対等に扱えば、白色人種至上主義の方々は面白くない。
何かひとつの意見を持ち上げれば、その意見に対立する人は快くないのは当然です。
その上で、自分の作品を見ると想定される人々(広いターゲット層)の多数が不快になる表現は避けるべきです。
人を不快にする表現を用いるということは、
その表現を不快に思う人を視聴者・読者の枠から切り捨てるということと同意と思って良いでしょう。
彼の場合、長年の特撮ファン歴のおかげで、特撮における「避けるべき表現」はよく理解していました。
小さい子どもに対してエロ・グロはご法度ですし(たとえ子どもがOKでも親がNGにする)、
子どもを怪人のターゲットにすることで、子どもが怪人に、必要以上の恐怖心を抱いてしまうおそれがあるというのが彼の認識でした。
腐った同人誌を例にしてみたら、わりとわかりやすい。
以上の工程を経て、彼の作品像はよりハッキリとしたものになりました。
が、今回のターゲティング話は個人の作風に突っ込んでいて、わかりにくいところもあるため、
わかりやすい話題でまとめてみることにしました。
というわけで、お題は「腐った同人誌」です。
この同人誌ですが、
「広いターゲット」としては、「同人誌即売会に訪れる腐女子」となります。
「メインターゲット」は、作中で描かれる「Aというカップリングが好きな人」です。
今回は数ページの短編が10本入った短編集を作ることにしましたが、
この10本の中で、Aの話が3本、Bというカップリングが3本、Cが2本、Dが2本で表紙はオールキャラ……なんて描き方をしていては、まさに「誰得」です。
A好きに送る短編集ですから、10本のうち、8~10本くらいAを扱った話でなければならないでしょう。
表紙もAのみを(もしくはAを中心に)描き、Aを好む人がより魅力的に思う作品にする必要があります。
このとき、広いターゲットに掠らない人のことは考慮する必要がありません。
例えば先の例でも出した、「同性愛者は精神疾患だと思う人」はこの作品を見れば不快に思いますし、
場合によっては作者や読者を詰ることもあるでしょう。
ですが、作者や読者にとって、この人は路上のゴミです。
どう足掻いても腐った同人誌の購買者になり得ないモブです。
彼らへの配慮は表現の幅を狭め、作品の質の低下を招くだけです。何も得がありません。
しかし、広いターゲットに配慮しない作品では、利益を切り捨てかねません。
例えば、Aを描くのが目的なのに、作中でAと関係ないBというカップリングを貶す表現をしたとします。
すると、広いターゲットの一人である「即売会に来たBが好きな人」がこの作品を見た場合、不快に思います。
この読者はAというカップリングに良い印象を抱きませんし、作者の作品を今後読むこともないでしょう。
彼女は、余計なことさえしなければ、自分の作品やAのファンになってくれたかもしれない人です。
つまり今後の購買者たりえた人です。
広いターゲットへの配慮が足りなかった結果、読者を切り捨ててしまった→利益を損なってしまったのです。
まとめ
物語を作る際も、ターゲティングは必須。
狭いターゲットに向けた、より深い《物語》を。
広いターゲットには、彼らが不快に思わないような《配慮》を。
タイバニの例もそうですが、作品のどの部分から人が好いてくれるかなんて、蓋を開けてみないとわからないものです。